Mステーションで倉木麻衣さんと共演をしたZARD坂井泉水さん。
坂井泉水さんはモデル時代も活躍していました。その顔や写真が見たいですよね。
坂井泉水さんのモデル時代の写真そして、がん闘病での話を紹介したいと思います。
ZARD坂井泉水さんのモデル時代
1990年(平成2年)は目まぐるしくモデルとしての活躍していました。
日清カップヌードルレーシングチーム(2輪)のレースクイーンで活躍し、なんと同期が岡本夏生さんです。
2月17日 TBS系ドラマのドラマチック22「渋谷・青春坂・ラブホテル」で端役で出演。
6月、写真集『Body Works』(大陸書房、トップモデルシリーズ)出版。
6月21日、ビデオ『SEXY SHOOTING』(サザンクロスビデオアーツ)発売(森村咲、大林美可と共演)。
7月24日、セミヌード写真集『NOCTURNE』(撮影:清水清太郎、白泉社)出版。
冬にフジテレビ系番組『オールナイトフジ』のグラビア美少女のコーナーに出演。
歌手としてのZARD坂井泉水さんしか知らない人が多いですが、モデルとしてかなり頑張っていたんですね。
写真集も出すなどモデルとして本気で頑張っていました。
そして、別の記事に書いたように、歌手として大ヒットして、国民的歌手になりました。
ZARD坂井泉水さんのがん闘病と突然の命
歌手として人気だったZARD坂井泉水さんは、子宮頸がんにかかりました。
坂井泉水さんを好きだった人だけでなく国民全体がショックを受けました。
がんばって、負けないで!
そして、さかいさんは治療を行なっていたわけですが、肺にがんが転移したことがわかりました。
子宮頸がんの手術の後で抗がん剤治療を行っていた辛い時です。2007年のことです。
そして間も無く突然亡くなったというニュースが日本中を駆け巡ります。
えっ、、、、、
当時亡くなった原因は、がんの治療で入院していた東京信濃町にある慶應義塾大学病院のスロープから転落したせいと言われています。
脳挫傷です。
事務所関係者は、なくなったその日にその死の直前の病室を、鈴木さんは他の幹部スタッフとともに見舞いに訪れています。
「まだ手はあたたかかったんですけど、すでに意識がなくて……」
「人間ってこんなにたくさんの涙が出てくるんだと思うほど、ぬぐってもぬぐっても涙があふれてきました」
治療をしていく中で不安や恐怖に襲われることはどうしてもあって、その時は何も言葉をかけることができませんでした」
ZARD坂井泉水さんは自ら命を落としたのか?
しかし、諸説によれば、自ら命を落としたということもあります。
子宮を摘出するような大きな手術をしたあとの肺への転移というのは、病状としては「かなり厳しい」です。
がんの組織型によって抗がん剤の効きやすさというのは異なるのですが、少なくとも、その状況での抗がん剤での治療は「根治」の可能性はかなり低かったのではないかと思います。
おそらくそれは、坂井さんにも知らされていたはずです。
そして、まだ40歳という坂井さんの若さを考えると「対症療法(病気そのものを治療するのではなく、麻薬などを使って、痛みや苦しみを緩和すること)で、なるべく安らかな死を迎える」ことよりも、「可能性は低くても、強い抗がん剤を使って、がんを根治で切る可能性に賭けた」のではないか。
でも、一方で、そうではないという話もあります。
坂井泉水さんは亡くなる2日前、総合プロデューサーの長戸大幸氏との電話では退院後のレコーディングを楽しみにしている様子だったようです。
いずれにしても、担当医のかたは以下のような後悔をしています。
抗がん剤治療をした選択は、妥当なものだ考えますが、坂井さんは癌そのものの症状だけでなく、抗がん剤の副作用などでも苦しめられていたのかもしれません。
今回の坂井さんの死が「自から命をったのか」「事故」だったのか、本当のところはわからないのですが、坂井さんのご家族や担当医にとっては、「抗がん剤の治療ではなく、緩和ケアをしてあげていればよかったのではないだろうか……」
それくらいきついがんとの闘病生活だったようです。
Mステでの動画を見て、ZARD坂井泉水さんをみなさんで、大変だったね。ありがとうと感謝のことばを述べたいと思います。